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起業・スタートアップのための起業家講義
京セラの成功要因<前半>

掲載:2020/10/06

稲盛和夫(京セラ株式会社 取締役名誉会長)
2003年9月講演

※記事の内容や肩書は、講義時のものです

強烈な願望を心に抱くこと。これは潜在意識に到達するほど凄まじく強く持続した願望を持つということです。思ったことは必ず実現するというルールが宇宙にはあると私は思っています。その思いの強さによって、実現する度合いも変わってくると私は考えているんです。

ファインセラミックス技術をもとに、各種電子部品、産業用部品等の世界に冠たるメーカーとして急成長を遂げた「京セラ」。その創始者である稲盛和夫氏は、いまも起業家の鏡として多くの人から尊敬を集めています。稲盛氏が起業したのは27歳。資金も思想も、事業家になろうという意識さえなかったというマイナスからのスタートから、いかにして世界に名を轟かせる優良企業をつくり育てあげていったのか、稲盛神話誕生の秘話を自らの口で語っていただきました。

経営の原点1:
事業の目的・意義を明確にする~公明正大で大義名分のある高い目標を立てる~

本日は京セラの成功要因を出来るだけ分かりやすく説明してみようと思います。まず1番目は「事業の目的・意義を明確にする」ということです。そして同時に公明正大で大義名分のある高い目標を立てるということです。

実は私の場合、それほど強い思いで事業を始めたわけではありません。27歳の時に会社を辞めて京セラの前身である京都セラミックという会社を創っていただいたのですが、当時私は一銭も持っていませんでしたし、自分で事業を起こして事業家になろうとも思っていなかったんです。技術屋で研究をやっていたのですが、その当時の技術部長と意見が合わず喧嘩をして、若気の至りで「そんなら私、辞めます」と言ってしまったことがきっかけでした。前の会社で研究を一緒にしていた部下と、私よりも上司だった課長、部長も一緒に会社を辞めて、「稲盛君と一緒に会社をやろう」と。

前の会社で、私の技術の研究成果を展開して行く中で、当時の技術部長と意見が合わなくて喧嘩をして辞めたものですから、その時にみんなで話をしたのが、今度新しく創る会社は何の遠慮も必要ないのだから、稲盛和夫の技術を世に問うための場にしようということでした。大手を振ってやれるという、そういうつもりで実は会社は始まったんです。それは会社の目的、事業の目的、意義と言ってもいいと思うんですね。

私と一緒に会社を辞めた8人のメンバーの他に、3月に中学を卒業した20名ほど採用して、1959年4月1日に28名で会社が始まりました。つまり一般の作業員というのは中卒の20人だったんです。ところが、次の年に入った高卒の人達が、ボーナスはいくら、来年の春の昇給はいくら、そのあと向こう3年ぐらいはこういうことを保証してく、でなけりゃ辞めたいと言ってきました。ちょっと待てよ、と私は言うんですね。やっとその高卒の連中が入ってくれて、約1年近く頑張ってくれて戦力になっていたものですから、それは困ると言って3日3晩話をして何とか分かってもらおうとしました。

それはそうしてあげたいと思うけれども、僕自身、この会社が将来どうなるかなんて分からない。それで私は「必死で努力をして、みなさんのためにも頑張ってこの会社を立派にしていこうとは思うけれども、保証できないものを保証できるというふうに嘘を言うわけにはいかない。みなさんのことを一生懸命私が考えてあげるということを信じて、ついて来てはくれないか」という話を、とことん詰めていきました。

結局は残ってくれることになったのですが、考えてみると大変なことだと思ったわけです。京セラという会社は稲盛和夫の技術を世に問う場として創ったのに、俺に騙される勇気はないかと言って残ってもらった高卒の8人、そして1年前に入った中卒の20人、その人達の将来の生活の面倒をみるということが目的になってしまったんです。大変僭越で傲慢に聞こえたら許してほしいのですが、どこの馬の骨とも知れない人を面接して採用をしたばかりに、今から永遠にその人達の生活の面倒をみなきゃならんのかと。田舎に残してきた親兄弟の面倒も見られないのに、従業員の面倒みなきゃならん。それを約束しなきゃならんというのは、なんと矛盾したことよ…、と思って私は大変悩みました。

これが事業なのか? 事業ってのはもっと素晴らしいことではないか?と数日間悩みました。悩みましたが、ガラっと考え方を変えて、稲盛和夫の技術を世に問う場としての京セラというその目的、意義をサラっと未練もなく捨ててしまうことにしました。「京セラという会社は全従業員の物心両面の幸福を追求することを目的とする」という一点に絞り込もうと。そこまでノートの端切れに書いてみて、それじゃああまりにも自分の人生が惨めじゃないかと思ったものですから、後の方に「人類社会の進歩発展に貢献しよう」ということを付け加えて作ったのが、京セラの最初の目的なんです。私は技術屋ですから、技術を通じてという意味を含めて従業員を大事にするのと同時に、人類社会の進歩発展に貢献して、一回しかない人生を少しでも意義たらしめたいと思ったんですね。その目的、意義を作ったことが、今日の京セラが発展していく最も強い原動力になったと思っています。

全従業員の物心両面の幸せを追求するということは、従業員にも頑張ってもらわなきゃなりませんが、私も率先して必死で頑張ります。ですから、従業員にも「お前何やってんだ。もっと頑張らんか!」と厳しいことも言っていたんです。前述のように大義と事業の目的を決めたものですから、みんなが一緒になっていわゆる共同体意識といいますか、一緒に苦楽を共にして行くことについて何の抵抗感もなかったんですね。私が言うことが、この会社をみんなで一緒に築いていこうというという目的とはっきり一致していますから、みんなの共感を呼んで「文句はありません、あなたに怒られても頑張りますよ」と言ってついて来てくれるんですね。

やはり人間ですから、働いたりあることをしようと思えば、そこには大きな大義というパブリックなもの、社会的なもの、公的なもの、公益的なもの、そういうものが含まれていた時に初めて、死物狂いにもなれるんです。自分の欲望のためにだけ努力をすることは限界があるんですね。その事業の目的、意義というのを明確にするというのは、従業員が自分のこととして協議をして、賛同してくれるものであると同時に、更にそれが大義にも通づるものであるならば、みんなが共感し共鳴をし、頑張ってくれるような会社ができます。そういう目的を作ったことで、私自身も一生懸命駆り立てましたし、従業員もみんな共鳴してついてきてくれたということが成功の一番だったような気がします。