起業家講義

京セラの成功要因

稲盛和夫(京セラ株式会社 取締役名誉会長)
2003年9月講演

掲載:2020/11/9

最終更新日:2023/09/05

※記事の内容や肩書は、講義時のものです

強烈な願望を心に抱くこと。これは潜在意識に到達するほど凄まじく強く持続した願望を持つということです。思ったことは必ず実現するというルールが宇宙にはあると私は思っています。その思いの強さによって、実現する度合いも変わってくると私は考えているんです。

ファインセラミックス技術をもとに、各種電子部品、産業用部品等の世界に冠たるメーカーとして急成長を遂げた「京セラ」。その創始者である稲盛和夫氏は、いまも起業家の鏡として多くの人から尊敬を集めています。稲盛氏が起業したのは27歳。資金も思想も、事業家になろうという意識さえなかったというマイナスからのスタートから、いかにして世界に名を轟かせる優良企業をつくり育てあげていったのか、稲盛神話誕生の秘話を自らの口で語っていただきました。

経営の原点1:
事業の目的・意義を明確にする~公明正大で大義名分のある高い目標を立てる~

本日は京セラの成功要因を出来るだけ分かりやすく説明してみようと思います。まず1番目は「事業の目的・意義を明確にする」ということです。そして同時に公明正大で大義名分のある高い目標を立てるということです。

実は私の場合、それほど強い思いで事業を始めたわけではありません。27歳の時に会社を辞めて京セラの前身である京都セラミックという会社を創っていただいたのですが、当時私は一銭も持っていませんでしたし、自分で事業を起こして事業家になろうとも思っていなかったんです。技術屋で研究をやっていたのですが、その当時の技術部長と意見が合わず喧嘩をして、若気の至りで「そんなら私、辞めます」と言ってしまったことがきっかけでした。前の会社で研究を一緒にしていた部下と、私よりも上司だった課長、部長も一緒に会社を辞めて、「稲盛君と一緒に会社をやろう」と。

前の会社で、私の技術の研究成果を展開して行く中で、当時の技術部長と意見が合わなくて喧嘩をして辞めたものですから、その時にみんなで話をしたのが、今度新しく創る会社は何の遠慮も必要ないのだから、稲盛和夫の技術を世に問うための場にしようということでした。大手を振ってやれるという、そういうつもりで実は会社は始まったんです。それは会社の目的、事業の目的、意義と言ってもいいと思うんですね。

私と一緒に会社を辞めた8人のメンバーの他に、3月に中学を卒業した20名ほど採用して、1959年4月1日に28名で会社が始まりました。つまり一般の作業員というのは中卒の20人だったんです。ところが、次の年に入った高卒の人達が、ボーナスはいくら、来年の春の昇給はいくら、そのあと向こう3年ぐらいはこういうことを保証してく、でなけりゃ辞めたいと言ってきました。ちょっと待てよ、と私は言うんですね。やっとその高卒の連中が入ってくれて、約1年近く頑張ってくれて戦力になっていたものですから、それは困ると言って3日3晩話をして何とか分かってもらおうとしました。

それはそうしてあげたいと思うけれども、僕自身、この会社が将来どうなるかなんて分からない。それで私は「必死で努力をして、みなさんのためにも頑張ってこの会社を立派にしていこうとは思うけれども、保証できないものを保証できるというふうに嘘を言うわけにはいかない。みなさんのことを一生懸命私が考えてあげるということを信じて、ついて来てはくれないか」という話を、とことん詰めていきました。

結局は残ってくれることになったのですが、考えてみると大変なことだと思ったわけです。京セラという会社は稲盛和夫の技術を世に問う場として創ったのに、俺に騙される勇気はないかと言って残ってもらった高卒の8人、そして1年前に入った中卒の20人、その人達の将来の生活の面倒をみるということが目的になってしまったんです。大変僭越で傲慢に聞こえたら許してほしいのですが、どこの馬の骨とも知れない人を面接して採用をしたばかりに、今から永遠にその人達の生活の面倒をみなきゃならんのかと。田舎に残してきた親兄弟の面倒も見られないのに、従業員の面倒みなきゃならん。それを約束しなきゃならんというのは、なんと矛盾したことよ…、と思って私は大変悩みました。

これが事業なのか? 事業ってのはもっと素晴らしいことではないか?と数日間悩みました。悩みましたが、ガラっと考え方を変えて、稲盛和夫の技術を世に問う場としての京セラというその目的、意義をサラっと未練もなく捨ててしまうことにしました。「京セラという会社は全従業員の物心両面の幸福を追求することを目的とする」という一点に絞り込もうと。そこまでノートの端切れに書いてみて、それじゃああまりにも自分の人生が惨めじゃないかと思ったものですから、後の方に「人類社会の進歩発展に貢献しよう」ということを付け加えて作ったのが、京セラの最初の目的なんです。私は技術屋ですから、技術を通じてという意味を含めて従業員を大事にするのと同時に、人類社会の進歩発展に貢献して、一回しかない人生を少しでも意義たらしめたいと思ったんですね。その目的、意義を作ったことが、今日の京セラが発展していく最も強い原動力になったと思っています。

全従業員の物心両面の幸せを追求するということは、従業員にも頑張ってもらわなきゃなりませんが、私も率先して必死で頑張ります。ですから、従業員にも「お前何やってんだ。もっと頑張らんか!」と厳しいことも言っていたんです。前述のように大義と事業の目的を決めたものですから、みんなが一緒になっていわゆる共同体意識といいますか、一緒に苦楽を共にして行くことについて何の抵抗感もなかったんですね。私が言うことが、この会社をみんなで一緒に築いていこうというという目的とはっきり一致していますから、みんなの共感を呼んで「文句はありません、あなたに怒られても頑張りますよ」と言ってついて来てくれるんですね。

やはり人間ですから、働いたりあることをしようと思えば、そこには大きな大義というパブリックなもの、社会的なもの、公的なもの、公益的なもの、そういうものが含まれていた時に初めて、死物狂いにもなれるんです。自分の欲望のためにだけ努力をすることは限界があるんですね。その事業の目的、意義というのを明確にするというのは、従業員が自分のこととして協議をして、賛同してくれるものであると同時に、更にそれが大義にも通づるものであるならば、みんなが共感し共鳴をし、頑張ってくれるような会社ができます。そういう目的を作ったことで、私自身も一生懸命駆り立てましたし、従業員もみんな共鳴してついてきてくれたということが成功の一番だったような気がします。

経営の原点2:
具体的な目標を立てる、立てた目標は常に社員と共有する

2番目の成功要因は、具体的な目標を立て、立てた目標は常に社員と共有するということです。これは抽象的な事業の目的、意義というようなことではなく、今年はこれだけ売上を上げたい、これだけの利益を上げたいという具体的な数字を使った目標のことです。たとえどんなに小さな組織であっても、できればそれを従業員の小さな単位にまでブレイクダウンし、月々いくらというところまで数字を明確にし、頑張ってやっていただきたいのです。会社全体でグロスで今年は売上何億を目指すと言っても、従業員は具体的にどうすれば良いのか分かりません。

京セラを創って43年ですが、実は長期計画というのを立てたことがないんです。私の場合は必ず1年計画しか立てません。コンサルタントの方々が中期計画、長期計画というものを立てなきゃならんと言うんですが、実際に事業をやると理屈通りに行くわけがないんです。1年分を見通すだけでも不可能に近いんです。

こうも言ってきました。ベストを尽くして今日一日を生きれば明日は見えてきます。今週いっぱい必死で生きれば来週が見えてきます。この1か月必死で生きれば来月がぼやっとでも見えてきます。この1年一生懸命頑張ってやれば、来年のことが見えてきますと。それでいいんです。それが遥かに確実なんです。

中期計画、長期計画を立てても、経費がどうなるかも分からないわけですから、立てたものが全部嘘になるんですね。そうすると、社長の言う話は全然あてにならんじゃないかと従業員から信頼されなくなるわけです。信頼を失うような数字は言ってはならんということで、今年これだけはやろうと言って、それを守っていくという計画を立ててやって来ました。

経営の原点3:
強烈な願望を心に抱く ~目標達成のために潜在意識に透徹するような強く持続した願望を持つ~

3番目は強烈な願望を心に抱くこと。これは潜在意識に到達するほど凄まじく強く持続した願望を持つことです。思ったことは必ず実現するというルールが宇宙にはあると私は思っています。その思いの強さによって、実現する度合いも変わってくると私は考えているんです。ですから自分が事業をするのに、こういうふうにしたい、こういう会社にしたい、こういう事業をしたいと、いうことを強烈な思いとして心に抱いてきました。

これに気づいたのは、会社が出来てまだ間もない頃、松下幸之助さんの講演会聞いた時でした。その時にちょうど幸之助さんが有名な「ダム式経営」というのを話されていました。聞き手は京都の伝統産業の経営者たちで、江戸時代中期から続いている名門だとか、そういう意識の非常にプライドの高い人達が多かったわけです。「そりゃあ、ダム式経営っていうのは仰る通りで、そういった余裕のある経営をすべきやというのはもっともやと思います。だけども余裕のある経営をどうすればできるのか、それまで教えてくれんか?」と。余裕がないからどうすれば良いか聞いているのに、ただ余裕のある経営がいりますよとだけを言われたんじゃ、何にもあんたに聞いた意味がないじゃないかということなんですね。そうしたら幸之助さんがぼそっと「そりゃ思わんといけまへんな」と。そうしたらみんながドッと笑ってですね、「なんやのん、思わんといけまへんなって。何の解にもならんやろ」と。でも、その時に私はですね、電撃みたいなのが走りました。「そうや!」と。

まず余裕がありたいと思う。それを強く思えば思うほど何とかしようと思うから、そこから解が始まっていくんだと。思わんやつには何にも出てくるわけがないんだと私は思いましたね。なるほどなと。幸之助さんが言いたかったのは「お前、思わんか。思うことが始まりなんだよ」と。解はあなたには与えられないけれども、思うことが始まりであり、解に繋がっていくということを幸之助さんは教えたかったんだと思います。

あなたの会社の状況が健康で素晴らしい会社なのか、貧弱で潰れそうな会社なのか、それは全てあなたの心に描いた通りになります。それは強烈な願望を抱けば抱くほどです。顕在意識でこうありたいと来る日も来る日も反復していると、それは潜在意識に入っていくんですね。他の仕事をしている時にも、全身全霊を使って潜在意識で思った方向に動いて行くんです。

潜在意識に入ると、チャンスを逃さないんですね。例えば新しい事業に手を出したいけれど、人も技術もいるし、自分は何の経験もないし技術屋もいないという時、どうしてもやりたいと思っているとします。そんな時、大学時代の同窓会に行ってたまたま喋った人が、実は自分が必要だと思っていた技術屋だということがわかったりするんです。潜在意識まで入っていますから、「この人や!」ともう同窓会どころではなくなります。「実は私こんな事業していて、将来はこういう事業が伸びると思っています。あなたがやっているものです。場合によっちゃ、私がNo.2になってもいいから是非私の会社に来てもらえませんか?」となる。その熱意が相手の人にも伝わり、じゃあ考えてみようかと。

よく人材はいない、技術はない、金はない、だから何にもできませんという馬鹿がいっぱいいるんですよ。思いがありさえすればお金だって人材だって全部ついてくるんです。先ずは思いありきなんですよ。それも強烈な思いがなけりゃならないんです。

経営の原点4:
誰にも負けない努力をする ~地味な仕事を一歩一歩、堅実にたゆまぬ努力をする~

4番目ですが、誰にも負けない努力をすることです。これは地味な仕事を一歩一歩堅実に、たゆまぬ努力を続けることです。世界一の険しい山に登りたいと思うなら誰にも負けない努力をしなければいけません。これは非常に大事なことです。どんな偉業も、本当に地味な一歩一歩の積み重ねでしかなし得られるものじゃないんです。最初は尺取虫が尺を取っていくような微々たる動きでしかないものを集積し、インテグレートしたものが偉大なことをなし得るんですね。

大卒で優秀であればあるほど、会社で地味な仕事をやらせると、なんで一流大学まで出てこんなことせにゃならんのだと言って簡単に辞めていったり、研究所に行きたいと言ったりします。高度な技術を勉強して来たので高度なことをしたいという人が大半なんです。しかし、本当に何の意味があるだろうかと無意味そうに見える地味な仕事を本当に飽きもしないで必死で努力していった人にしか、神様は人生で成功というものを与えてくれないんです。それをみんな知らないものだから、もっと近道があるんじゃないか、もっと簡単に行ける方法があるんじゃないかと思うんですね。そうじゃありません。何でもそうですけれど、継続するということが一番大変なことですね。

経営の原点5:
売上を最大限に伸ばし、経費を最小限に抑える ~入るを量りて出ずるを制す~

5番目は、売上を最大限に伸ばし、経費を最小限に抑えるということです。つまり「入るを量りて出ずるを制す」です。私は会社を始めた時には、簿記も知りませんし、経理についても何にも知識がありませんでした。損益計算書も見たことがありませんでしたし、ましてやバランスシートなんて聞いたこともありませんでした。ですから経理担当に今会社の経営はどうなっているのかとしょっちゅう聞いていました。いろいろ説明してくれるんですけれど、なかなか分からない。何回目かでしたかね、「もうええわ」と。「経営というのは、早う言うたら、売上が上がってそっから経費を引いたのが残りで儲けやな」と。「そうですわ」と経理担当が言うから、「そんなら経営は簡単やな。売上をなるべく増やすように努力をし、経費をなるべく減らせばええんやな」と。入るを量りて出ずるを制すことに努力し、大企業になっても今日までこの通りだったんです。

京セラがはじめのころから高収益会社になったのは、実はこれなんです。一般の経営者は、例えば電子工業関係ですと、大企業も含めて売上の4~5%の税引前利益が出ればまあまあ、10%なんてのは考えられもしない。それをいつの間にか常識としてインプットされていて、5%まで行くか行かないかというところでやっているんです。

京セラは会社が始まってしばらくして税引前利益率30%というのが、何年も続いたことがあります。こんな儲かるというのは、暴利を貪っているのでは?と言われるんです。電子工業の世界というのは、それはもう凄まじい値下げの世界で、どんどん数量が増えて電子工業が伸びていくたびに、値下げ値下げの嵐です。「もう下げられません」と言うとですね、「決算書を持ってこい」と。「販売費一般管理費で10%取ってるけどな、中小企業が10%もかかるわけないやないかお前。あと5%はまけられるな」というようなことを言われる。そして値切られるわけです。どこのエレクトロニクス産業の企業さんもみんないつも値切られて、本当は仕事をさせてもらうんだから喜ばなきゃならんのに、喜ぶどころかいつも不満たらたらで、みんながそういう恨み辛みを言うんですね。

その後私は海外に出ていって、IBMやらテキサスインスツルメントやらと一緒に仕事をし始めて成功していきます。そりゃあしたたかに、値段の点でも品質の点でも取引先に鍛えられたので、鍛えられたものをアメリカに持って行って他流試合に出たら、見事にどこにも負けんぐらい強かったですね。

実は、販管費が10%では高すぎるから5%だと言われた後、購買部長に「嫌や、もう以後は決算書持ってこいとか言わんでくれ」と言いました。「その代わりあんたがなんぼにせいと言うのは、それはもう抵抗もしません。その代わり、私がなんぼ儲けようと私の勝手ですからね。一言も文句を言わせませんよ。工場も見せません」と啖呵を切ったことがあります。相手も「よっしゃ、分かった」と。

そして、うちの若い技術屋連中に、「オイ、今からどこまで安く作れるか製造技術と製造工程をどこまで変えて行けるか、凄まじい努力をしようじゃないか」と言いました。与えられた条件の中で、どう経費を減らして利益を出すかというこのゲームをやって来たんですね。

そういうわけのわからないことをうちの社員が考えてやっていると、京都という街の中で広まっていきます。そうすると、京都の企業は全部こういうやり方をするようになるわけです。ですからこの不況の中でも高収益の企業を並べてごらんなさい。上から5位までは全部京都の会社ですから。どこも赤字は出していませんし、今でも10%ぐらいの利益があります。他の大企業が大赤字を上げる中で、同じような仕事をしていても今でも10%も利益が出せるというのは、これなんです。どこもかしこも赤字、だから俺のところもこれくらいの赤字やったらまあ当たり前やないかという常識でもって経営するのとではわけが違うんです。

経歴:
稲盛和夫氏
1932年、鹿児島市に生まれる。1955年鹿児島大学工学部を卒業後、京都の碍子メーカーである松風工業に就職。1959年4月、知人より出資を得て、資本金300万円で京都セラミック株式会社(現京セラ)を設立。京セラは社員14000人、売上1兆円を超える企業にまで成長。代表取締役社長、代表取締役会長を経て、1997年から取締役名誉会長(2005年からは名誉会長)を務める。また1984年、電気通信事業の自由化に即応して、第二電電企画株式会社を設立。代表取締役会長に就任。2000年10月、DDI(第二電電)、KDD、IDOの合併によりKDDI株式会社を設立し、取締役名誉会長に就任。2001年6月より最高顧問となる。

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