起業家講義

ライフネット生命

出口治明 氏(ライフネット生命保険株式会社 代表取締役社長)
講演:2009年1月

掲載:2020/12/7

最終更新日:2023/10/03

※記事の内容や肩書は、講義時のものです

僕は人間が思ったことはほとんど実現しないと思っています。99.9%実現しない。そんなに簡単に実現するんだったら人生イージーだ。ただ同時に、思わなかったことは絶対実現しないのも事実です。最低100年続いて、100年後に世界一になる会社を作ろうと言ったのは、そういうふうに思ったからです。

ライフネット生命保険株式会社は、内外の生保を株主に持たない、戦後初の「独立系」であり、保険商品の安さ、わかりやすさを追求した、インターネット生命保険会社です。従来の生保業界の慣例にとらわれない異色の会社であるといえますが、それは顧客視点で「保険とはどういうことか」を考え抜いた末の、こだわりの結果であると出口社長は言います。同社の独自性や経営方針はもちろんのこと、出口社長が、生保に対する問題意識からビジネスアイデアを考案し、ライフネット生命を設立するに至った経緯や、資本集め、人集めの苦労、起業の裏話など、貴重なお話をお聞きしました。

ライフネット生命はどんな会社か

ライフネットという会社は一言で言えば保険料は日本で一番安くて、その代わりに電話は一番夜遅くまでつながるという、安くて便利な会社です。本当に消費者目線で作りたかったので、親会社に保険会社や大株主を入れませんでした。よって、74年ぶりに独立系の保険会社として誕生しました。会社の方針はすごくシンプルで、正直に経営し、分かりやすく、安く、便利な商品・サービスを提供し続けるというこの4点です。忘れてはいけないので、この4点をマニフェストの形でオープンにしています。役職員が忘れることがないよう、金融機関では初めてマニフェストをオープンにしました。 日本で一番安い保険料を作りたいということで、販売経費や商品をシンプルにすることで契約の維持管理経費を安くしましたが、逆に大変お金をかけた所もあります。電話が遅くまで繋がるとか、皆さんの健康状態をきちんとお聞きして契約を丁寧に作り込むとか。或いは本人確認も、書類を郵送してもらうのはお客様にとって面倒くさいじゃないか、クレジットカードだけで契約はできないのかといった議論もありましたが、生命保険は一生で考えれば大事な契約だし、金額も高い。徹底的に議論して、本人確認は法律通りやることにしました。保険金の不払いの問題には、3重のチェックをすることで不払いゼロが出来るだろうと。保険とはどういうことかということを一生懸命考え、こだわりを持った会社を作ったわけです。

日本生命時代から抱えていた保険業界の問題意識

こんなことを考え始めたのは、1985年ぐらいに戻ります。僕は日本生命に勤めていましたから、少子高齢化が進み生命保険が衰退するということが分かります。生命保険は人口が半分になれば規模は半分になる、単純ですよね。それを避けようと思えば、投資顧問や証券、銀行など違う業務をやるか、海外に出ていくか、異質のビジネスモデルをやる、この3つしかないんです。日本生命にいる間は業務の多様化と海外進出を一生懸命やっていました。ところが日本生命はバブルの後、業務の多様化も海外進出も止め、僕は仕事を失くしちゃったんですね。 でももう1つ、異質のビジネスモデルがあるじゃないかと考えて、一度2001年頃に生命保険会社を作ってみようと思ったことがあります。インターネットの浸透により生保の販売チャネルが変革する胎動を感じていましたので、友人と「e-life」のアイデアをベースに事業会社数社に出資を打診したんですね。しかし大株主である既存生保の機嫌を損ねることはできないと軒並み断られる結果になりました。 僕は人間というのは川の流れに乗っていく人生が一番素晴らしいと本当に思っているんです。人間の行動を決める大脳の活動で、自分で意識できるのは2、3割しかありません。その2、3割しかない部分で一生懸命考えて、将来こうなろうと思い、そのためにあくせくする人生というのは僕はつまらないと思うんですよね。川が流れていない時には仕事はできないし、風が吹いていないときに凧は絶対にあげられないと思っています。この2001年の時には、風が吹いてないんだなと思って、会社を作ることをサッパリと諦めてしまいました。

風が吹き始め、訪れたチャンス

その後、2004年に子会社に移り、もう生命保険の世界に戻ることはないと思いましたので、若い日本生命の後輩に読ませようと、遺書のつもりで『生命保険入門』という本を書きました。この本にライフネットのアイデアも全部書き込んでありましたから、読むべき人が読んだら、僕の構想も全部わかると。僕自身は、起業とか会社を作ることとかは川の流れみたいなもので、そういう機会が来ればいいし、機会が来なければそれでもいいと思っていたんですね。 そんなとき、友人から「ちょっと若い人が保険のことを聞きたがっているから会わないか?」と言われて、夜遅くのホテルでお茶も飲まずに生命保険業界の現状を2、30分話したんです。それがあすかアセットCEOの谷家衛さんです。谷家さんが、「今まで色んな人の話を聞いてみたけれど、保険については出口さんが一番良く知っている。僕の会社に来てくれませんか? 二人で日本で一番いい保険会社を創りましょう」と。たぶん谷家さんの外見を見て好きになったんだと思います。何も考えずに直感で「いいですよ」と言ってしまいました。当時、僕は58歳だったのですが、こんなに若い人が言ってくれるのも何かの運命だから、古い僕は全部捨てて、この人と一緒にゼロからやっていこうと、瞬間的に決めたんですね。 その場で「保険を知らない若い人(つまり僕が持っていない人を)1人選んでください。その人をパートナーにしますから」とお願いしました。そうしたら、すごく不思議なんですけれど、「僕、心当たりがあります。出口さんにぴったりな人をすでに採用してある」と言うんですね。話を聞いてみると、谷家さんは僕の後の相棒の岩瀬大輔がハーバード大学にいる時に会い、すごく優秀な青年だということで、使い道を決めないで採用してあったんです。そして、彼が卒業した2006年の7月に岩瀬と僕と二人で仕事を始めました。非常にラッキーだったのは、岩瀬が想像以上に優秀で、ハーバード大学で今まで日本で3人しかいない最優秀賞を取ってきてくれたことです。彼はすごくメディアに売れたので、ライフネットの知名度がちょっと上がったのかなと思います。 2006年の10月に、谷家さんと谷家さんの一番の親友でマネックスCEOの松本さんから1億円のお金をもらって準備会社を作りました。風は吹いていて2005年の11月24日に手数料を自由化するという金融庁の方針も出ていました。すごく風が吹き始めた時に谷家さんに出会ったということなんです。

共助の仕組みで世の中を変える会社をつくる

会社をつくる時に一番思ったことは、どんな会社をつくるにしても社会的な意義のないことは絶対成功しないということです。これまでの人間の歴史を見ると、人間というのは助け合いで成り立ってきたと思うんです。ところが公助というのは絶対無理です。こんな財政状況で、税金で助け合うことは不可能だと思います。国債の発行は全然気にすることはないという、民主主義の根本原則を理解してない大馬鹿モンの経済学者が何人かいますね。民主主義というのは、僕は税金を皆で決めて分配する仕組みだと思っているんです。自助も不可能です。自助と言うのは皆が平均して所得がある世界ですが、今すごく格差が拡大しています。そうなると共助の仕組みが凄く大切になってくると思うんですけど、その共助の基本をなす生命保険が不払い等でメチャクチャなことをやっている。だからこの会社をつくって世の中を変えるんだと思ったわけです。 どういう保険を作ろうかと考えたら、答えは一つです。日本の平均所得はこの10年で15%ダウンしています。平均世帯で650万あった所得が、この10年間に560万にダウンしているわけですね。6割以上の世帯が平均以下で、なおかつ子育てを一番しなきゃいけない30~39歳の世代も平均所得ほどないんです。そして29歳以下はもっと貧しい。こういう現実を前に生命保険は何をすべきかを考えたら、1か月に1万5千円も2万円も取るような保険を売るべきではないと誰でも思いますよね。だから僕は保険料を半分にしたい。保険料を半分にするにはインターネットでやるしかないと。誰が考えても普通に考えればこうなるはずだと僕は思います。

新しい生保を立ち上げる(1):免許の取得 ~保険会社が株主にいない、主要株主がいない生保に

生命保険会社の立ち上げは普通のベンチャーと一緒ですが、免許が必要です。保険会社と銀行は総理大臣から免許が付与され、20%以上の大株主も金融庁の認可事項になっています。僕は生保も主要株主もいない保険会社をつくろうと思いました。要するに親のいない会社ですね。保険会社が親だったら、保険料半額はやりすぎだから25%引きくらいにしておけとか言われるに違いないと思ったからです。 内外の保険会社が株主になっていなくて免許をもらった例は、第二次大戦後、私たちが初めてでした。一社もないんですね。しかし、金融庁がこの5年ぐらいで出した物を全部読んでみたら、明らかに競争を強化させようと考えている。だから免許は下りるはずだと思いましたね。お金もあまりありませんでしたから、申請書類はこれぐらい(15㎝くらい)の厚さになるんですけど、ほとんど僕が書きました。社長と副社長で書類を全部書いて、二人で金融庁との交渉も全部やったという会社はほとんどないと思いますね。

新しい生保を立ち上げる(2):資金集め ~ビジネスモデルだけで出資者を仰ぐ

せっかくゼロからやるならと、金融庁の友人は1人も訪ねませんでした。また、友人でメガバンクのトップの人間も何人かいるんですけれど、ゼロからつくるんだから、人間関係ではなくて、ビジネスモデルだけで出資者を仰ごうと決めました。正直、分かりやすい、安くて便利という我々のこの4つの理念を共有できるような株主をこちらから選んで出資をお願いしました。2007年の5月にはほぼ80億円は固まっており、その年の9月頃からは外資を中心に第3次の増資の話を始めていました。ところが年が明けたころ、サブプライム問題のために、固まりかけていた外資から軒並み断りの電話が入り真っ青になりましたね。なんとか日系のベンチャーを回って結果的には無事に増資ができたのは安心しました。 なぜ外資を入れたかったかというと、相方の岩瀬と二人でこの会社を作り始めた時に、二人で100年続く会社を作ろうと決めたわけです。「100年」に別に意味はないんですが、僕は人間の作るものには全部寿命があると思っているんですね。100年の場合もあれば、200年の場合もあれば、500年の場合もある。人生100年といわれているので100年続く会社を作ろうと決め、当然100年も時間があるわけですから、100年後は世界で一番いい保険会社にしようと、そう思いました。だから、グローバルに評価されたいと思い、初めから外資を株主に入れようと思っていました。今でも毎月株主とはミーティングを行っていますので、資料を全部英語に直さなきゃいけないのは大変なんですけれど、初めからそれはもう決めていました。

新しい生保を立ち上げる(3):人集め ~30代と60代の不思議な会社に

人集めもなかなか大変でした。ニッセイから部下は連れて来ないと決めていましたし、安い保険料を標榜する以上、安い給料しか成り立たないんですね。だから「保険もよく知っているし、自分は優秀だ。現在の給与にプラス200万で雇ってくれ」と売り込んでくるような人は全部断りました。 給与は安いし、免許が取得できなければ解散しなければならないという不安定さの中で、人集めは本当に心配していました。しかし、嬉しい誤算なんですが、開業するまで人材紹介会社に手数料を払ったのは1人だけです。最初は岩瀬のブログを読んで、面白そうだと思う人間が3、4人集まってきました。この集まった3、4人が社員ブログという形でライフネットのブログを書き始めたんですね。その社員ブログを見て人が集まり始めます。だからライフネットというのは面白い会社で、今職員が約50人いるんですけれど、ほとんどがブログで集まった30代です。一方で、常勤監査役とかアクチュアリーとか監査部長とか、経験を要するところには僕の友人の60歳以上がいっぱいいます。平均年齢は40歳ぐらいなんですけれど、本当に60代と30代でできあがっている、すごく不思議な会社ですね。

新しい生保を立ち上げる(4):システムの作り方 ~ベンチャーとイテレーション開発

システムを作るのは、ゼロから作るかパッケージか若干迷いまいたが、パッケージにしました。ただ、パッケージはインターネットの生命保険ということを想定していませんから、ウェブサイトとどう繋ぐかという問題があり、迷いながらもベンチャー企業をパートナーに選びました。ごく小さなベンチャーなので、株主からは「全員同乗の飛行機が落ちたらどうするんですか?」などと言われました。なんでベンチャーにしたかと言えば、イテレーションで開発(一連の工程を短期間にまとめ、設計、実装、テストを何度も繰り返すことで徐々に完成度を高めていくアプローチ)をしてくれるからなんですね。生命保険の商品というのは、約款などが非常に技術的で細かく、実は免許をもらう直前まで細部が決まらなかったんです。だからウォーターフォールでの開発は出来ないと思い、リスクを取りました。新しい銀行や保険会社は、だいたい最初の半年は1か月に1回は金融庁に謝りに行くんだと教えられましたが、結果的にはお陰様でまだ1回も行っていません。

ライフネットという会社の将来性をどう見るか

ベンチャーとしてこの会社をどう見るかということですけれど、絶対成功すると僕は思っています。 ・市場が大きい ・消費者の不満が増大している ・業界を変えようという大きな流れがある ・具体的なソリューションがある ・参入障壁が高い というベンチャー成功の5大要素がすべてそろっています。だから30代の若手からは、酒を飲むたびに「これだけ条件が揃っていて、成功しなければ社長が無能ということだ」と言われています。たぶんそうだと思います。 企業として100年続くことが目標ということは既に言いました。100年続く企業で100年後に世界で一番良い会社をつくる。僕は人間が思ったことはほとんど実現しないと思っています。99.9%実現しない。そんなに簡単に実現するんだったら人生イージーだ。ただ同時に、思わなかったことは絶対実現しないのも事実です。最低100年続いて、100年後に世界一になる会社をつくろうと言ったのは、そういうふうに思ったからです。上場する会社をつくると言ったら、そこで終わってしまいます。会社をある程度大きくするまでが社長である僕の責任なので、還暦の僕が100年後のことを言うなんて無責任だと株主に怒られたりもします。でも企業を作った以上は、この50人のものですから、中心部隊の30代が30年働いてくれて、また次の世代を3つぐらい積み重ねれば100年後には世界一になると。まあ僕はどっちみち見られませんから、気は楽ですね。

経歴: 出口治明 氏 1948年生まれ。京都大学法学部を卒業後、1972年 日本生命保険相互会社入社。経営企画を担当として企画部や財務企画部に所属し、また生命保険協会で財務企画委員の初代委員長として、金融制度改革・保険業法の改正に東奔西走する。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て、同社を退職。2005年に東京大学総長室アドバイザー就任。2006年 ライフネット生命保険株式会社設立(旧商号ネットライフ企画株式会社)、代表取締役社長就任。

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